田中 一村展

田中 一村の絵に感銘を受け、図書館から画集4冊と生き方の本を3冊を借り、寝る前に夢中で読みました。

そして、誘ってくれた先輩の画集が、友達から回って来て、改めてすごいと見ています。

今まで、こんなに深く心にしみた本があっただろうか。

7歳の時児童画の天皇賞を貰った時、仏像の彫刻家の父親が、米邨(べいそん)という雅号をつけ、後に一村に。

純粋に絵に没頭し、食べる為に絵を売ったが、その事を非常に嫌い、買ってくれた方に絵を出させ、焼却して渾身をかけた絵をあげたと。

教えてくれる先生もいないのに、物事をしっかりみて、いつも絵筆を握り、描いているときは、とても怖かったと、それだけ集中できるってすごいなと思いました。

夕食の準備で野菜を切っているときに倒れ、69歳で帰らぬ人に。

苦しまなくて良かったと思ったが、自分の個展が出来る前に亡くなったのは残念だったと思う。

個展を開いていたら、違う道が開かれただろうに。

その後に無名の田中一村を、NHKの「日曜美術館」で紹介し、一躍脚光をあび、多くの人が知ることとなったが、本当に素晴らしい絵に身震いするほどでした。
 
 18年9月19日

絵のクラブの仲間達と、佐川美術館で展示されている、田中 一村展へ行って来ました。
 
 

前日、ネットで調べると、第4章まであり、第1章は7歳~22歳まで約30点展示してる事が分かり、正直言って余り期待はしておらず、久しぶりに平山 郁夫の絵が見られる事に興奮をしました。

駐車場へ着きビックリ、大阪、神戸、東京と他府県ナンバーがずらり、会場へ近づくとまたまたビックリ、ズラ~ッ ・・・

常設展の、平山 郁夫の絵は何度見ても素晴らしい、沢山あり見応え十分。
次の会場に入り、 超ハンサムな顔にドキ~ン・・・ハートを取られた~・・・( ´艸`)

7歳からの絵を見てまたまたドキ~ン・・・

7歳で画仙紙で、絵も字も大人顔負け、まさに神童と呼ばれた事が分かりました。

50歳で奄美大島へ渡り、「アダンの海辺」等を描き、絵が息づいてるように思えました。
独学で写生に明け暮れていたが、日展や院展などで何度も落ち、応募しなくなり、絵を発表しないで無名のまま69歳でこの世を去ったのが、惜しかった。

奄美大島では、日給450円の紬工場染色工として生計を立てていたとか。

才能があっても選ばれず、 死後注目され、日本のゴーギャンと呼ばれたという。

亡くなってから取り上げられるとは皮肉なものだ。

奄美大島のリゾートホテルで、田中 一村の屏風が売りに出され、アメリカ人が買おうとしていたが、日本に残したくて、知人に言うと、ひとめぼれをして、12000万円で買ったとか。

人間の一生の中で、認められていたら、人生は大きく変わっていたかもしれない。

とに角素晴らしい絵なのに、今まで知らなかったので、誘ってくれた友達に感謝。
   戻る